留学に関する記録 (05/26-05/29) ①リヨン篇

5月26日木曜日は、キリストが復活後、再び昇天した日であるとされ、祝日になっている。

木曜日が祝日で、金曜日が平日だと中途半端なので、金曜日もオセロ方式で休日になり、4日間の休みが発生した。

急遽予定を立て、遠征を行うことにした。

第一日目 リヨン

 リヨンは、フランス第二の都市である。クレルモンフェランから約130 km、東方に位置する。

クレルモンフェラン発の車両に乗り込み、電車に揺られること2時間30分、リヨンに到着した。

駅から出ると、高いビルが数棟立ち並び、都市らしい様相を呈していた。

リヨン駅周辺の眺め

 駅の周辺は大勢の観光客、地元の人々、そして物乞いの人たちで溢れかえっていた。

駅近のショッピングモールには、フランス、ベトナム、イタリア、韓国、日本料理屋など様々な料理屋があり、昼間は人で溢れかえっていた。トイレは有料となっており、専用のトイレ券を2 €程度で購入し、改札に通す必要がある。

 ショッピングモールのレストランで昼食をとっていると、ズカズカと物乞いがやってきて、「2€恵んでくださいませんか」とやってくる。そのような人々は星の数ほどいるので、同情は無用である。

 リヨン駅から歩くこと2 km、美しい建築の数々を目にする。これら建築群は川の中州に位置しており、大阪の中之島を彷彿とさせる。

 中州を越えてさらに歩くこと1.5 km、ローマ劇場跡、ローマ文明博物館に到達する。リヨンは、ローマ帝国属州時代、

属州ガリアの中核都市として栄えた。属州化された街々には、ローマを倣い、公衆浴場、裁判所、議事堂、劇場などの生活に必要な施設を1つの場所に集約した「フォルム」が建設された。リヨンのローマ劇場は、築2000年近く経ってもなお、現役の劇場として利用されている。

この劇場の最上階に位置するところに、ローマ文明博物館の入り口があった。劇場の最上部から、最底部に降りる経路で古代の品々が展示されている。

 展示品の中に、クラウディウス帝の演説碑文があった。クラウディウス帝は1世紀半ばに活躍したローマ帝国の第四代「皇帝 (元首)」である。

名門クラウディウス家出身の生粋のローマ人であるが、リヨンで産まれた。吃音や麻痺に苦しみながらも、傾いた国家財政を立て直したり、ブリタニア (イギリス) の属州化を行うなど優れた行政・軍事手腕を発揮した。このクラウディウス帝の演説碑文は、ガリア人の元老院 (ローマの国会にあたる機関) 入りに反対する元老院議員を説得する際の元老院議会の演説を記録したものである。演説はタキトゥスの「年代記」に記録されているが、その演説の原本であるこの碑文が16世紀にリヨンで発見され、その存在を裏付けることとなった。

 以下に演説の内容を引用する。

予の先祖の中でも、最も遠い始祖クラウススは(生粋のローマ人ではなく)ザビーニ族の出身である。しかしローマ人は彼とその一族にローマ市民権を与えただけではなく、同時に彼に元老院の議席を与え、ローマ貴族の列に加えた。この先人たちの例に励まされて、予はこれと同じような方針を国家の行政面に応用すべきだと考える。それはつまり、出身地や出身部族を問わず、皆この首都に移植させ、(敗者として扱うべきではなく)優れた者であれば、政治の中央に関与させるということである。

中略

元老院議員諸君、現在諸君がたいそう古いと思っているものは、かつてはみな新しかったのだ。例えば、国家の要職もローマの貴族に続いて、ローマの平民が、平民の後でラティニ族が、ラティニ族の次には、その他のイタリアの諸部族に門戸が開放されたのだ。議員諸君、今われわれが議論しているガリア人への門戸開放もいずれローマの伝統になるに違いない。そして今日われわれはこの問題を討議するうえで、いくつかの先例をあげたが、この問題もいずれは先例の一つとしてあげられるようになるだろう

 引用) https://ameblo.jp/masatomo-s/entry-10132350657.html

 ガリア人の元老院入りを認めたことを機に、様々な属州出身の人々が元老院議員、軍人、官僚として活躍し、ローマは危機の克服と、さらなる発展を遂げることができた。例えば、ヒスパニア出身のトラヤヌス帝、アフリカ出身のセウェルス帝、バルカン半島出身のアウレリアヌス帝など様々な人材が帝国で活躍するきっかけとなった。

 このような遺跡群を間近に見ることができて大変感激した。

 

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