留学に関する記録 (5/26-5/29)②アルマス篇

 

5/27

リヨンのホテルの朝食

リヨンのホテルで朝食を済ませ、アヴィニョン行きの電車に乗る。2時間の電車の旅の末、

アヴィニョンTGV駅に到達した。その後、一駅先のアヴィニョンセンター駅でおり、

そこからバスに乗り込み、1時間後、オランジュ駅に着いた。オランジュは、リヨンから180 km南に位置し (クレルモンフェランから300 km南東)、フランスの中でも田舎中の田舎である。大阪で例えると、豊野町や千早赤坂村に相当するような田舎である。タクシーもそう簡単には拾えないし、電車もバスも一日数本しか運行されない。

 オランジュ駅から徒歩7 km先に、この旅の最終目的地、アルマスがある。10kgを超える荷物を背負い、その地まで歩いた。一面の葡萄畑が広がる田舎道を歩くこと、4 km、地元の人が声をかけてくれ、車で目的地まで連れて行ってくれた。

オランジュの田舎道

大変親切な人であった。英語でこちらが話し、フランス語で相手が話して、3割程度の意思疎通を行うことができた。不思議な体験であった。

 運転手に礼を言い、車を降り、ついにアルマスに到着することができた。アルマスとは、ラテン語で「荒地」を意味する。

昆虫学者である、アンリ・ファーブル が、人生の壮年期-晩年を家族と共に過ごし、昆虫記を書いたその家のことをファーブルは「アルマス」と呼んだ。

 家には、ファーブル先生が実験に使った装置や、収集した標本の数々、ファーブル先生自らが取ったスケッチなどが飾られていた。そして、その家の庭はアルマスという名前にふさわしい光景であった。木々や草花が生い茂り、そこら中に虫が飛んでいた。子供の頃に読んだ、昆虫記やファーブル先生の伝記の中で広がっていた世界が、目の前に広がっていた。心地よい風が吹き付け、旅の疲れを癒した。思えばこの日を夢に見ていた。

 アルマスの訪問を終え、再び、7 kmの道を歩こうとしていると、再び、地元の人が声をかけてきた。そして、オランジュの町まで送ってくれた。この人は全く英語が通じなかった。それでも少し意思の疎通ができた。フランス語とは少し違ったイントネーションの話し方をしていた。別れの際に「チャオ」といったことから、在仏イタリア人だったのかもしれない。行きと帰りの両名の運転手にファーブル先生について知ってるかと聞いたら、知らないと言われた。地元の人でもファーブル先生のことは知らないことからも、フランスでの知名度が低いことがうかがえた。

 夕飯は、寿司屋で寿司を食べた。味噌汁とちらし寿司を注文した。味噌汁は、マッシュルームが入っており、ぬるかった。味噌汁というよりは、味噌汁風味噌入りスープである。ちらし寿司は、生魚の入った辛くて酸っぱくて甘いパクチーライスであった。悪くはないが、フランス人の舌に合うようにモディファイされており、日本のそれらとはかけ離れていた。

1 comment on 留学に関する記録 (5/26-5/29)②アルマス篇

  1. ファーブルはフランスでしたか。意外に地元のひとは知らないのですね。
    もし時間があれば、アンボアーズ(Amboise)にレオナルド・ダ・ヴィンチを訪ねてはどうでしょう。
    アンボアーズ城もきれいだった記憶があります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA