関西空港を歩いた時のワクワク感を忘れた頃、スカルノの地、インドネシアへと旅立った。果たして、この地はどのような刺激を与えるだろうか。
第一日
第一日目は、トランジット地のシンガポールで一泊する。シンガポールは、学部四年生の時に訪れて以来、二度目の訪問となる。夕方四時過ぎ、シンガポールに至る。降りた途端に、熱気がムンムンし、8月の大阪を思わせる。夜は屋台へと行き、チキンライスとベトナムのフォーを食べた。
飲み物は、サトウキビジュースとココナッツジュースを飲んだ。そして、マーライオン周辺を観光したのち、ホテルで一泊した。
滞在するホテルの正面には、ピンク色に輝く禍々しいお店がたくさんあった。その夜、腹を壊す。急激な気温の変化と、過剰な水分の摂取のせいであると思う。
第2日
6時起床。いよいよインドネシアへ向かう。よく眠れず、グロッキーなまま朝を迎える。屋台街へ行き、ローミーを食した。
ローミーは、ラーメンの親戚のようなものである。見た目の割にあっさりしている。その後、物足りないので、魚粥を食す。お値段は400円程度であるが、500ミリリットルくらいあった。その後、身支度し、昼の飛行機でインドネシアへと向かった。飛行機の中で、借りぐらしのアリエッティを鑑賞し、号泣する。ますらおの涙を袖に搾りつつ、ジャカルタの国際空港で出国審査に挑む。審査官は、外国人を大変警戒しているらしく、航空券の提示や、ホテルの予約確認書を見せろといって、なかなか入国させてくれない。1時間にわたる長いプロセスを経て、出国を為す。出口には、「ミスター、タクシー?」と叫ぶ大勢の白タクドライバーがいた。ここで、この旅程の案内人である、インドネシア大学の学生と会う。旅程の最初から最後まで親切であった。手配していただいたタクシーに乗って、宿泊するホテルに向かう。道中、さまざまな日本車、日本の原付、日本企業のビルを見る。日本も決して捨てたものではない。
今回泊まるホテルは、シャワーとトイレが分離されていた。素晴らしい。しかも、僕の部屋は二十六階にある。インドネシアを一望できる。この世をば我が世とぞ思うなんとやら。
夜は、伝統的なインドネシア料理を食した。ビーフと黒い豆をベースにしたスープ料理を食した。
山椒がよく効いており、蕎麦の出汁を思い起こさせる。インドネシアは高温故、蕎麦が生産されていないことが残念である。
第3日
5時半起床。イスラム教徒たちの早朝の祈りの声で目を覚ます。
インドネシア国立大へ行く。伝統的なインドネシア仕様の建物に、壮大な自然がそこにはあり、インドネシアの最高学府にふさわしいたたずまいであった。弊校も見習うべきである。ミニシンポジウムにてプレゼンを行う。拙いインドネシア語で挨拶してみたら意外と通じた。インド大学の学生から、ペンやパンなどさまざまな贈答品を頂く。強烈なおもてなし精神を感じた。
ミニシンポジウムの合間に、大学を見て回る。食堂は、学部や教員ごとにわかれているそうである。代表的なレストランでは、伝統的なインドネシア料理に加え、日本料理や韓国料理などさまざまな料理を楽しむことができる。弊校も見習うべきである。大学には五つの湖があり、ときどき巨大トカゲが泳いでいるのが見えるそうである。弊校も見習うべきである。
その夜、インドネシア料理屋へ行く。そこで、青唐辛子と青いトマトが沢山載った揚げ魚を食す。
青唐辛子は加熱されることで、辛さがマイルドになって美味である。この夜から、胃の中では昼夜休日問わず無秩序に、何かがお祭り騒ぎを始める。
第4日
土曜日。バスツアーである。マイクロバスに乗り込み、目的地へ向かう。道中、四ケツしたり、ノーヘルだったり、ナンバー無しの原付を多数見かける。無秩序の中に秩序がある。バスに揺られ5時間、目的の地、バンドンに着く。バンドンには大量の松の木が植えられており、幻想的な風景が広がっている。
魚入りのご飯料理を食す。日本のジャコご飯と何ら変わらないのが驚きである。その後、有名な茶店へ行く。静岡を彷彿とさせるような美しい景色が広がる。夏も近づく八十八夜が、ふと思い浮かんだ。
茶店では、伝統的なインドネシアのドリンクを飲む。生姜の香りを強く感じ、かつ甘いので、このドリンクは温かい冷やしあめのようである。
その後、マイクロバスに5時間揺られてホテルに帰る。道中に見た、思い出のマーニーに号泣させられる。一日中、腹の調子がおかしかった。
第5日
日曜日。朝5時起床。昨日に引き続き体調が優れない。6時に、ホテルのビュッフェで朝食を食う。ナシゴレンは炊き込みご飯のようである。後でインドネシアの学生に、「ナシゴレンは毎日食うものか?」と聞いたら「平時、夜に食うものであって、朝や昼にむやみやたらと食うものではない」ということである。
ホテルの下には、インドネシアの伝統的な市場があった。そこには、ドリアン、生きた鶏、おそらく朝に獲れたであろう魚などが売られていた。店番しながらくつろぐもの、肉を捌くもの、誰かと大笑いするもの、アジアを感じられずにはいられない。かんかん照りの太陽が地面を照らし、そこから空気を蒸し上げる。どうやらゴミは捨てっぱなしのようであり、蒸しあげた空気に乗って臭いが顔にやってきた。加えて、蝿がそこらじゅうに飛び交っていた。高層ホテルの下には、このような世界が広がっていた。
市場の空気もあってか、体調が悪化する。地元の熱冷ましを服用して少しマシになった。お昼は、インドネシアの学生の招きにあって、ジャカルタを観光する。ジャカルタは電車で30分ほどの位置にある。
名古屋のような高層ビル群があった。ショッピングモールのレストランにて歓談する。体調が悪化した。冷や汗と腹痛、怠さが極限に達する。そこからの記憶はあまりない。
第6日
どうやら朝6時まで寝ていたようである。相変わらず腹痛がひどい。熱も寒気もあり、戦闘不能になる。そのため、この日の予定は欠席した。後で聞いた話によると、この日は人体の不思議展のような、人体展示をみたようである。出席していたら、気絶していたであろう。
昼間に少し体調がよくなったので、ホテルの下のショッピングモールにて、ラーメンを食す。醤油ラーメンを食したが、日本のそれのような強い旨味や塩気を感じなかった。やはり豚出汁には敵わないのだろうか。ラーメンの具に、メンマのようなものがあった。めんまと思って食べたら、大根であった。大根ラーメンを食べたのはこれが初めてである。
第7日
体調がマシになる。インドネシア大学に向かい、工学部のラボを見学する。スペースが広く、実験装置の置き方が贅沢である。僕の胃の調子を気遣って、インドネシアの先生から胃に効く茶をいただいた。
昼には空港につき、夜にはシンガポールに至る。相変わらず腹痛と寒気がひどい。ここは南国のはずであり、日に焼けて帰るはずだったのに、顔はむしろ青白くなった。
この旅を通して、インドネシアの学生、先生方には、至れり尽くせりのおもてなしをいただいた。彼らの協力無しには、ジャカルタでの素晴らしく、プライスレスな経験はなし得なかった。これにふさわしい、感謝の言葉を見つけることが難しい。日本に来られたら、最大限のおもてなしをしたい。また、インドネシアの現地の人々は大変フレンドリーである。言葉が通じなくても身振り手振りで厚いサービスをいただいた。行けばきっとファンになる、そのような国であり、刺激的な体験を得た。
なお、腹部を刺激していた謎の病は、シンガポールから大阪にゆく飛行機を待っている今も、猛威を奮っている。いったいなんなのであろうか。良い見方をするのであれば、海外で病に倒れるという貴重な経験をした。悪い見方をするのであれば、最悪である。ともかくも、全体を通して、この旅はあらゆる刺激に満ち溢れたものとなった。
チャンギ国際空港 ターミナル3 A11搭乗口にて。
*昨年執筆してあたためたものを1年半たった今投稿する。